『人生フルーツ』
家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。
「人生フルーツ」は先日亡くなった樹木希林がナレーションを担当している。樹木希林がナレーションを担当していることを端においても、かつて見たこの映画は思わず「えっ」と声が出てしまうような衝撃的で、尚且ついい作品だった(この場合いい作品との表現が適切なのかは分からないが)
人生フルーツは建築家として著名な津端修一氏と、それを支えてきた妻・英子さんの長い長い物語である。二人ともかなりのご高齢(修一さんが90歳、英子さんが87歳)なのだが非常にお元気。映画はかつて修一さんが担当した建築物に関することから妻との穏やかな暮らしまでをじっくりと描き出す。
このご夫婦の暮らしぶりが実に羨ましく見事なのだ。自給自足でこだわりが詰まった家に住み、お互いがお互いをいたわり合っていることが伝わる。映画のキャッチコピーである
人生はだんだん美しくなる。
もうそれ以外に言いようがないくらい、地に足がつき、風のように自然に生きる。そんな暮らしをしている。
途中までジブリ映画を見ているような気分。
……だったはず。
だが、途中で胸騒ぎを憶えるようなワンシーンが映画に挟みこまれる。家の周りでざわめく木々。嫌な予感がする。
次の瞬間黒い服に身を包む英子さん、ベッドに横たわる修一さんが映し出された。2人の穏やかな暮らしは突然、終わりを告げたのだ。
※ただ、大往生と言っていいほどの亡くなりかただと思った
修一さんの横で語りかける英子さん。その姿にはただただ胸が締め付けられた。
いつも修一さんに半歩下がってついて行った奥ゆかしい英子さん。これからどうやって暮らしていくのだろう?
この心配は杞憂に終わる。
その後も英子さんはいつものようにご飯をつくり、写真となった修一さんの前にそれを並べる。そして修一さんの言葉を思い出す。
本当にかあさん、コツコツ一人でやることだよ。
その言葉の通り、これまで通りに日常を紡ぐ英子さんの姿がそこにはあった。何十年と続けた暮らしはそう簡単にはなくならない。
修一さんの死というショキングな出来事はあれど(無責任な言い方をすればそれさえも自然の一部だと思える)、人生フルーツを見ていると「自分の将来もこうありたい」「なんて理想的な暮らしなんだ」と感じた。甘くて酸っぱい人生フルーツ。
エンドロール。
フランク・ロイド・ライトの名言
長く生きるほど人生はより美しくなる
よし、そうなら生きていくのも悪くない。そう思える映画だった。
※後日(もっと後?)樹木さんと英子さんが番組の企画で対談していたけど、イキイキとした英子さんと少し気を使っているような樹木さんの様子が印象的だった。
▲夫妻の書籍
▲一人暮らしへと踏み出した英子さんの書籍
ラジオっていいな。
「ラジオっていいな」と思う。
テレビみたいに疲れないし、PCで仕事しながらだって聞くことが出来る。それに大好きな音楽が流れる率の高いことといったら。最近いいなと思ったのがSMAPがふいに流れてくること。構えてない時に流れてくる「どんないいこと」なんて最高じゃない。もう歌声が聞くことができないSMAPのさ。テレビだったら終わっちゃったおじゃMAP以外流れないでしょ。
あと、最近のラジオって30代向け?と感じることが多々ある。だって選曲が安室奈美恵→星野源→椎名林檎→ミスチル→SMAP→アジカン→BUMPとかさ。もう宝石箱みたいな流れなの。30代ホイホイ。
んでも30代向けじゃなくてもっと10代の子に向けたラジオもやってるわな。スクールオブロックとかね。20代で色々迷ってた頃、夜この番組を聞いてたんだけどとにかく熱かった。やましげ校長とやしろ教頭の時なんだけど、めちゃくちゃメッセージが熱くてBUMPとか講師の先生もすごく良くてラジオで救われるってこういうことなんだなあと思った。
とおやま校長とあしざわ教頭になってからは聞いてないけど、スクールオブロック関連のオーディションから「米津玄師」とか「ぼくのりりっくのぼうよみ」が出てきたって情報を聞くと、なんかまたまた胸が熱くなる。あの時、小さな部屋でラジオに耳を傾けた自分を思い出す。
あの時と状況は変わったけど、相変わらずラジオを必要としている生活だ。ラジオを聞いてるだけで外と繋がっている気がするし、自分の祖母を思いだす。目が見えなくなった祖母はラジオをよく聞いていたけど、今ならその気持ちも分かる気がする。
ラジオをつければ星野源。
今更ですけど、ラジオをつければ星野源ですよ。アイデア何回聞いたでしょうね。朝「タ~タタタタタッ」昼「タ~タタタタタッ」夕「タ~タタタタタッ」、一体何回聞けば許してくれるんだと思うくらい流れてきます。
で、悔しいのが聞くたびにイントロでテンションが上がって「はぁ、いい唄(うっとり)」ってなることなんですよ。普通、こんなに自分で選んでも無いのに同じ歌手のおんなじ曲ばっかり聞かされると嫌になると思いませんか。はい、それが全く嫌になりません。それどころか「あ~い~で~あを」のところで泣きそうになります。聞きすぎて中毒になりそうだったんでMVを見たら浮雲がいるではありませんか。何ですか、この万全の布陣は。
これだけ星野源のことを語ってますけど、全然昔からのファンとかじゃありません。むしろaikoの彼氏として報道された時も「誰?」って存在すら知らなかった失礼なヤツなんですから。それが年末の紅白のバナナマンとのやけに親し気な感じが気になって、「逃げ恥」でひらまささん最高!恋!歌いたい。ってにわか丸出しだったんですよ。
それが、ここにきて「どどどどどーらえもん」からの「あ~い~で~あを」ですからね。名曲連発しすぎでしょう。そりゃラジオでも否応なく流れるわ。安室奈美恵→星野源→安室奈美恵しか流れてないんじゃないのかっていうくらいです。(あっ、今日レキシが流れてました)
「半分、青い」もだいぶんアイデアで得してると思うんですよ。ちょっと強引かなっていう展開でもオープニングにタ~タタタタタッって流れるだけで律と鈴愛どうなってくんだろうとか、かんちゃん大丈夫かなとかストーリーが気になって仕方なくなってしまう。なんなのこのアイデア勝ち。星野源ってこんなパワーあったの。
そういえば近所の保育園の周りを散歩してたらドドドドドドドドド~ラエモンって曲に合わせて子どもたちが楽しそうに踊っていました。お遊戯で踊る曲って何回も聞かされるわけで脳みそに擦りこまれると思うんです。キラキラした笑顔の保育園児までファン層に取り込んでこの先どうしようっていうの星野源。
ギリシャヨーグルトがめちゃくちゃ旨い。
最近食べものの話しかしてない気がします。
今日、仕事で疲れたので「自分へのご褒美にちょこちょこつまめるおいしいもの食べたいな~」と思ってスーパーをうろうろしてたら焼き鳥が目に入ってきて、焼き鳥さんが大好きなので買おうと思ったんですけど5本で税込420円だったので止めました。
たった420円くらい買えばいいと思うでしょ?
買えないんです。自分だけのために消えるものに420円は払えない(おいしいって記憶は残るけどね!それも翌日には何食べたっけ?ってなって消えちゃうけどね!)
んで、もう少し安いものを探していたらギリシャヨーグルトのパルテノが150円くらいだったので買いました。
何を隠そう私はヨーグルトが大好きなんです。特にギリシャね。ギリシアじゃなくて ギリシャね。もったーーーりしてまったーーーーりして本当においしい。濃厚を極めた奇跡の食べものだと思ってます。
普通のヨーグルトに比べたら割高だけど、それでも150円くらいだしたんぱく質はとれるしで贅沢な気分にさせてくれる。よくあるプレーンヨーグルトでもザルにキッチンペーパーを敷いて1日待てばギリシャヨーグルトが作れるけど、めんどうだからしない。「食べたい時にすぐに食べられる」それがだいじ。
んで、うちに帰ってからギリシャヨーグルトを有り難く頂いて「はぁ、本当においしい」と思ってたら、更にお腹が空いてきたんでラーメンにわさびを入れて食べました。
朝ごはんには目玉焼き丼食べとけって話
シリアルだとお腹が空く。
朝からご飯にお味噌汁に焼き魚は用意できない。
食べたくない日だってある。でもそのまま食べないでおくと2時間後にものすごくお腹が空いてしまう!食欲もあんまないし、朝から食べられそうな手のこんだものも作れそうにない、そんな時は目玉焼き丼を作ります。
炭水化物+たんぱく質で栄養的にも良さそうだし、そこにネギにノリも乗せればもうバッチリじゃない?
普通に茶碗に白米だといまいち食欲が湧かなくても、おにぎりにしたり丼にすると食べられるようになる。「朝から丼もの~?」と思うかもしれないけど、黄身を半熟にすれば卵かけご飯の感覚で食べられる。
卵かけご飯だと軽すぎるけど、目玉焼きだったら咀嚼回数が増えるので食べた気がする。「食べた」って感覚がなにより大事なのだ。
気の抜けない目玉焼き
3分くらいで完成する目玉焼き丼だけど気が抜けない。
人によって目玉焼きの焼き加減にこだわりがあるからだ。私の場合は固く焼いたヤツに最近はまっているのだが、同居人は「黄身がトロリとするくらいが丁度良い」と言う。朝の忙しい時間にあれやらこれやらに気を取られていると目玉焼きの火を止めるのを忘れてあっという間に黄身が固まってしまう。
それを同居人はやや不満気に食す。
「黄身が硬かろうが柔らかかろうがどっちでもいいじゃん」と思うのですが、人によってこだわりというものがあるのだなーとその度に実感する。
反対にトロトロに出来た時なんかはちょっと嬉しい。
「やった」とキッチンで1人ガッツポーズしたい気分だ。同居人も嬉しそうに食べてくれるしその姿を見るのもまた嬉しい。
なにかける?目玉焼き丼
うちの場合は「めんつゆ」」一択なのだけど、醤油派が多そうな印象。もとより「めんつゆかけとけば何でもおいしい」という認識なので、これからもめんつゆをかけ続ける。一度塩をかけたけど、主張が強すぎて何だか合わなかった。
最近はわさびにハマっているので、めんつゆにわさびを合わせているのだけど、ピリッとして目が覚める。
忙しい朝にちょっとした幸せをくれたりそれを食べる人の反応を見たり、簡単な料理にも詰まっているものがあるのだなぁと思った。
「ライトノベルって読んだことない」と思ったけど、書いたことはあった
「ラノベの表紙がどうとかこうとか」って話題をはてなトップで最近よく目にします。「んー、そういえばラノベって読んだことないなぁ」と自分の人生を振り返ってみたけど
そうだ、ちゃんと読んだことはないけど書いた過去がありました。
今思い起こすと少し、いやかなり恥ずかしい過去なんですがかつて「小説家になろう」というサイトを利用してまして、何かを書きたいという欲望のままペンネームをもち物語を書き始めたわけです。「へー、ここで話題になれば本も出版出来るのか」なんて万が一にもないことを夢見ていました。
んで、その時に上位に来ているストーリーをなんとなく読んでみたんですが、あれがまさしく「ラノベ」そのものだったんですね。改めて気づきました。
異世界・生まれ変わり・魔法・チート・美少女
所謂そこにはパターン化されたものがあって、上手くハマるとランキング上位になれる仕組み。
「これくらい自分でも書ける」
そんな風に思わせるのがラノベの良いところか、悪いところか。
でも自分で書いてみるとこれがまた難しい。
パターン化されたもので書こうと思うと個性がだせない。なんとありきたりなことか。風景の描写も省きすぎず、でも鮮明に描かなければ読者は満足しません。
「あなたの文章は風景描写を端折りすぎです」
一度このようなコメントを貰ったこともありました。とにかくクドくなく、かといって省略しすぎてもダメ。自分でも書けそうと思ったラノベをちゃんと書くのはなんと難しいことか。
絵でも文でも「私でもできそう」と感じたことは大抵出来ない。
「ラノベの表紙がキモイ」って言われてるけど、書籍化されたラノベってのはある程度のレベルをクリアしているのであって「行き過ぎた表紙」でラノベ全般が敬遠されてしまうのはあまりに寂しい。「表紙や中身でエロを連想」させることで売り上げは確かに上がるのかもしれない。けれど、長い目で見たらマイナスになるような気がしてならない。
※ラノベの定義は曖昧らしいけど「ラノベ=エロ」じゃなくて「=分かりやすい若年層向けの小説」なんだよね。
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▲こういうの好き。
マンガで現実逃避する
やらなくちゃいけないことは山ほどある。
自分の部屋の掃除を毎日かけたい。ホコリがたまっている場所をどうにかせねば。同居人のために買い物にいかねば。仕事も進めたい。ブログ書きたい。Twitterしたい。
とにかくもっともっと体を手を動かさねば、と思うのだけど最近どうもマンガを読んで現実逃避してしまう。
思えば、学生の頃から「テスト前」とか「論文を書く」時なんかは、「さぁ、やろう」と思い立ったはいいがいつのまにかマンガを読み始めてしまう。しかもベットでごろりと寝転がって読むからタチが悪い。普段読まないマンガの1巻から読み始めたり、「お前やる気あんのか」と自分で自分に喝を入れたくなる。
それは大人になった今でも変わらず、相変わらずマンガを読んで現実逃避して「やりたかったことの半分しか出来なかった」なんてことがままある。
それでも生活していけてるのだから、良しとするべきかもっと自分のお尻を叩くべきか。
ちなみに今、読んでいるマンガは「ちびまる子ちゃん1巻」と「ドラえもん1巻」。
さくらももこの初期作の細かい書きこみやドラえもんの頭を空っぽにして読める心地よさを感じながら時おりPCをいじる。子どもの頃に読んだマンガに相変わらず笑ったり、考えさせられたりしているなんて。
さぁマンガで充電したら少し作業を進めようか。
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