ある女性ブロガーの報告を読んで泣いてしまった
名前は伏せておきますが、とある女性ブロガーの報告を呼んで泣いてしまいました。
その報告とは「ずっと闘病していた旦那さんが死んでしまった」というものだったのだけれど、腹の底から生み出す文章と旦那さんへの溢れんばかりの愛情・医療に対する不満や疑問、そこで展開される人間模様。あらいざらいに綴られていてまさに心が震えた(実際に私も学生時代よく入院し、祖父母を長期の入院の末なくしているので看護師や医師に対する歯がゆさもよく理解できた)
夜中の2時にPCの前で泣いている私は自分でも「何やってんだ」とも思うが、「ブログによって泣かせられる」そんな日が来るとは思いもしませんでした。
※女性ブロガーの方は泣かせようとかそんなことは考えていなくて、ただただ自分の日々を気持ちを綴っていたのだと思うし、こうやって話題に出されたり「泣いた」と言われることに関してひょっとすると不快に思うかもしれない。
同時に30代になって泣くことなんて皆無に等しいし、そんな機会もほどほどないのだけれどブログというツールで文章で、ここまで人の心を動かせるものかと関心したのも事実。身近な人間との別れをどう迎えるべきか、病気になったらどのように助けるべきか、医療従事者との向き合い方、そして自分の最期の迎え方を考えざるを得なかった。
ブログは全くオワコンじゃない
ざーっとネットの波を漂ってると「ブログももう終わってる」とか「はてなオワコン」といった話題を目にするのですが「全然終わってないじゃん」と思いました。
事業が停滞しているとかそういう意味なのかは分からないですが、こんなブログを書く人がいるなら全然オワコンじゃない。
人の気持ちを動かせるブログを書く人がいる限り、ブログに未来はあるんじゃないかなぁと思いました。現にブログって不思議なもので、以前これまたある男性ブロガーが事件に巻き込まれた末、亡くなった事件についてもその男性とは全く面識もないし時たまブログ(というかサイト)を読みに行ってただけなのに、変な脱力感というか哀しさがありました。
ブログを読むってことは大げさにいえば、その人の人生を追体験しているに等しいと思います(現実には全く関わってないけど)
プライベートなことが綴られている、ある事に対する思いが綴られている、その人ならではの文体。それに読み手が触れる。
考えれば考えるほどブログって不思議な世界だ。
パワハラだらけの社会
体操業界がなにやらずっとざわついていて、パワハラだのパワハラの認識がなかっただのとやいのやいのやっていますが、一般社会もパワハラだらけだよなぁと思いました。
私は一つの仕事をずっと……という働き方が出来なかったので、これまでいくつかの仕事と職場を渡り歩いてきましたが、パワハラだらけで逆にパワハラがない職場って幻じゃないの?なんて思ってました。
体操のエライ人の話し方が高圧的だとかなんとかということですが、あんな話ぶりをされたことは山ほどあるし、通っていた大学でも就職担当のおっさんがあんな感じの話し方で、自分の気にいらないことをこっちがすると怒鳴りつけるし、チェックしてもらうための履歴書が事情があって提出が遅れた時は大勢の前で怒鳴りつけられ、その時は恥ずかしさとショックで死にたくなりました。
あと、女だらけの仕事場でも酷いもんで、お局様的な人にハマらなかったので徹底的に嫌がらせされました。仕事が出来ていないといちいち嫌味を言われ、チェックされ、挙句の果てには必要な書類を出しただけで金髪お局に舌打ちされて、書類を投げるように机に放られました。未だにその会社名と実名を憶えているので公開したいくらいです。
私も有名だったらメディアに「パワハラされた!」ってめちゃくちゃ訴えたい。
でも、世の中にはそんなパワハラが蔓延してて泣き寝入りしている人がたくさんいるんだろうと思います。
そんなパワハラから身を守るためには、証拠として録音したりといきすぎなくらいの準備が必要になってくるのかなと思いました。だって、いくら私がパワハラを訴えたくても全く証拠がない。
だからパワハラをやってる側だ!と訴えられた人たちが録音していたり、訴えた側の選手が言動をノートに記してたり、第三者の人がコーチとの練習をビデオに撮影したり、それぞれがそれぞれの形で証拠を残しているので賢いなと思いました。
ただ、それだけです。
「ももこの話」さくらももこ
さくらももこが亡くなってからというもの、さくらももこ関連の本を本棚の奥から引っ張り出して読みまくっている。
彼女のエッセイの中で評価が高いのが「さるのこしかけ」「もものかんづめ」「たいのおかしら」あたりだと思うが、この「ももこの話」が私は密かに好きなのだ。タイトル通りももこの話がいっぱいで、その中心はいつものように当然のように幼少期のさくらももこのことが綴られている。
(巻末でさくらももこへのインタビューがあったけど、今読むと少し物悲しい)
ももこの話で好きなのがトップバッターの「食欲のない子供」
さくらももこが幼少期に少食だったのは有名な話だが、給食が多すぎる!といった問題をコミカルに家での出来事も交えながら描いている。その絡めかたが絶妙で給食から母すみれの小言と悲哀、更にオチにアルジェリアとナイジェリアをぶっこんでくるさくらももこの上手さに思わず唸ってしまった。
あるあるなネタから日常の中にある笑いと悲哀、そしてしっかりオチもつける。これぞさくらももこではないか。
同書には「父ヒロシにまる子がお風呂場で歌を教える」お馴染のネタもある。
アニメや漫画でも幾度も見たような話だけど、やっぱり面白い。
ヒロシと風呂ネタは鉄板だと思う。教えた通りに歌えない適当なヒロシに、上から目線で熱心に教えるまる子、そして最後は近所のおばさんからの「お風呂の歌が聞こえている」という報告に愕然とするまる子。「お風呂の歌が聞こえている」と言っちゃうおばさんはややいけずな気がするが、その時のさくらももこの絶望を考えるとまたじわじわと笑えてくる。
他にも「おとうさんのタバコ・かきぞめの宿題・暑さのこと」など、さくらももこことまる子の小学生時代のエピソードが盛り沢山で楽しい。
※ちなみに巻末のさくらももこへのインタビューでは「50歳、60歳の自分ってどんな風?」という質問があって、「想像できないけど80歳になってもくだらないことをしてるんじゃないか」って答えてて、少しセンチメンタルな気分になってしまった。
「みんな何のために生きてるの」の答え
増田で「みんな何のために生きてる?」っていうヤツがあって、目についたのでついクリックして内容をじっくり読んでしまった。
「なんのために生きてるのか?」ってことは、誰でも一度は考えることじゃないかなーと思いつつ、投稿者は「みんな」なんのために生きてるかを知りたがってる。これも過去の私と同じで「みんな」が何を励みに毎日の生活を送ってるのか知りたいと思う気持ち、よく分かる。私も過去にその答えを知りたくてネット検索で時間を潰したことがある。
でも出てくる答えは「毎日おいしいものを食べるため」「家族のため」「好きな音楽を聴くため」とかで、これといってピンとくるものではなかった。
なぜそれを知りたいのかっていったら私じゃない「みんな」は毎日なんだかんだでキラキラと毎日楽しく生活してるように見えるからで、その人なりの問題は抱えているのだろうけど、それでも死を考えずに何だかんだ毎日に折り合いをつけているように見える。なんで、みんな「死」を選ばず「生」を選び続けているんだろうと。
んで、私なりに見つけた「何のために生きてるか」の答えなんだけど、「生かされてるから生きている」それしか思い浮かばない。辛さを乗り越えた先に何があるかっていうと何にもないし、死んだらあっという間に忘れられちゃうけど、死ぬような天災や事故・病気にもならず生かされている、ただそれだけだと思う。
私は30代なんだけど、この歳になると病気で死んだとか自殺したって知り合いが少し増えてきた。病気で死んだと聞くと「この若さで……」っていう気持ちになるし、自殺したって聞くと「辛かったんだな」っていう感想よりも、不謹慎だけどそれを実行するに至った決意の固さとか死への行動力に驚く。
んで、彼らとの違いって何かなと考えるとやっぱり現在の状況に「生かされている」って結論に至る。死へ繋がる病気になったわけでもないし、ちょくちょく辛いことはあるけど死ぬほどつらいことも今のところない。
よく私は人間って花のようなものだなーと思うんですが、道端に咲いてる花と一緒で人間に踏まれたり、風で折れちゃったらそこで終わり。終わらなかった花はただ咲き続けるのみだって。結局、意味なんてないに等しいんですよ。
どうしても「生」の実感がほしければ
「みんな何のために生きてるんだろう」って感じる時って、生の実感を渇望している時だとも思うんですよ。だって、小学校の時とかそんなこと思わないでしょ。ものを知らないってことも大きいのかもしれないけど、今思いだしても放課後遊んで帰る時の夕方の空気が好きで、家に帰るといいご飯の匂いがして。ってキラキラしたものしかない。あと未来への期待とか「生」を実感しまくりだった。
大人になるとそれが薄れちゃうんですよね。未来ももうある程度見えちゃってる、子どもの時のような感受性もない。欲しかったものを買っても、おいしいものを食べても楽しいのはその場限りで長く続かないし。
じゃあ、唯一「生きてる」って実感して心から幸せになるにはどうしたらいいのかっていうと「他人に与える」ってことしかないと思うんですよ。ギブ&テイクじゃなくて、ギブ&ギブ。ボランティアとかもそうだし、創作活動で人を楽しませたり、ちゃんとした知っている情報を教えたりでも良いです。
あの、2歳児を救出した尾畠さんっていたじゃないですか。78歳なのに目がキラッキラ。「今どき子どもでもあんなにキラキラした目の子いないよ」ってなキラキラ感。あの人ってたぶん与え続ける人生なんですよね。
困った人がいたら助ける、不具合がある場所なら誰に頼まれてもないけど自ら直す(山登りして腐ったベンチ直してた)
そんな尾畠さんに「生きる目的は?」って聞いたら「人を助けるため」「恩返しのため」って答えるんじゃないかなと思います。「尾畠春夫の人生に悔いなし」ってテレビで言ってたけどカッコよすぎ。そんな人生最高。なかなか出来ることではないけど、人生に迷ったら尾畠さんをマネしてみると案外幸せになれるかもしれない。
「何のために生きてるの」じゃなくて「人生に悔いなし」って生きていきたい。
メシマズさんをメシウマに転換させるための方法
※このメシマズの話を始める前に私のポジションをはっきりさせておきますと、フードスペシャリストと料理技術検定上級資格を持っているので「第三者からみてたぶんメシマズではない」というポジションから話している、ということを説明しときます。
私と一緒に暮らしている同居人はややメシマズなんで、時たま台所を任せるとトンデモというか斜め上のものが出てくるんですね。(作ってもらえるだけで有り難いんですよ。えぇ、ありがたいんです……)
うっすーい野菜スープ(もちろん皮入り)とか、何種類かの調味料を無造作に混ぜたものとか、炒め物に向いてない野菜を炒めて米とMixしたものとか。
まぁ、そんな感じで。
んで、料理を作る様子をチラチラと観察していると見えてくるんです。
「メシマズってこういうことかー」と。
メシマズの法則1、レシピは見ない!
本まで買うのは面倒でも、インターネットで検索すれば山ほどレシピは出てくる訳です。
カレーひとつでもめっちゃ出てくる(まぁ、カレーの作り方はルーのパッケージに書いてあるけどね)
それを見ることすらしない。こういうレシピで作ってみたら?とわざわざ紙に書いたものを渡しても見ない!
俺流!私流!……です。
メシマズの法則2、分量は計らない!
レシピを見ないんですから、当然そうなりますよね。
はい、計量カップとは?計量スプーンとは?の世界です。
メシマズの法則3、料理は実験感覚!
知ってる人はピンとくると思うんですけど、その昔簡単なサラダでもアレンジしまくる料理研究家がいましてですね。
実際にその人の料理は食べた事ないけど、たぶんおいしくないと思います。だって見た目が……以下略。
メシマズさんは料理作ってる時は楽しそうーですよ。
でも「おいしい料理つくるぞー」って感じじゃなくて、「今日はどんな実験しようかしら」っていう風に見えるんですよね。傍から見ると。
実験じゃなくて、毎日食べるご飯を作るんだぞーと思います。
で、どうやって「メシウマ」に転換させるかっていうと
①レシピを見てもらう(出来れば本)
②分量を量ってもらう
③サプライズはいらない、普通のご飯で良いんだと理解してもらう
以上3つのことが必要です。
※①で本と書いたのは、ネットだとハズレレシピもたまにあるし、作り方が省略されている場合もあるから。本だとその点ハズレもないし、作り方もじっくりと書かれている。
これらを踏まえて上で、同居人にただ漠然と「レシピ見て作って」といっても馬の耳に念仏なんで、③の「とにかく基本でいい、お味噌汁だけでも良いからレシピを見て作って」と土下座しながら(いや、そこまではしてないか……)頼んだら、「分かった」とやっと基本からちゃんとしてくれることになりました。
「お味噌汁の味噌も、お玉に乗せて少しづつ溶くんだ」ということも理解してもらえました。
まとめ:メシマズさんには、どんな手を使ってでもレシピ通りつくってもらおう
君の熱意にかかっている。
以上です。
▲そっとテーブルに置いておきましょう
開いた才能、開かなかった才能
才能のある人って羨ましー!
って一度は感じた事のある人はいっぱいると思います。
才能があればソレに人生をかけて打ち込めるし、稼ぐ力もつく。
「羨ましー!」って感じたことのない人は幸運な人で、もうすでに才能をぶつける先を見つけていることでしょう。
才能っていえばさくらももこのエピソードが思い浮かぶんですが、高校生の時に書いた作文で「現代の清少納言」と評されたことがきっかけで、「エッセイ風の漫画にしよう」って閃いて漫画家への道が一気に花開いたのは有名な話。
たぶん、少女マンガーーーって感じの作風でりぼんにずっと応募してたら、デビュー出来なかったかもしれない。矢沢あいとか王道の上手い人がゴロゴロいたし。
それがエッセイ風の漫画にしただけで、ドーーーンですよ。漫画家の頂点へ駆け上がったわけです。
さくらももこの才能を開花させる「現代の清少納言」の言葉がなければ、さくらももこという国民的漫画家は存在しなかったかもしれない。
本人の努力もさることながら才能って運だよなーとつくづく思います。
才能の見つけ方
肝心の才能の見つけ方ですが一番手っ取り早い方法は色んな場所に行って、色んな人に会うことだと思います。
「やりたい」と思ったらすぐやる、会いたい人がいたら会ってみるとか。それを日常化することで今後の自分の方向性が見えてくる。
そんな気力も勇気もないよって人は、才能に関する本を読む。
こういうのとか
さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0
- 作者: トム・ラス,古屋博子
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2017/04/13
- メディア: 単行本
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こういうのとか
家にいながら自分の才能を見つけるきっかけになります。
で、あとは「自分が小さい頃に好きだったことを思い起こす 」こともいいみたい。
それをどう仕事につなげていくかは難しいんだけど、なんでも良いから手がかりが欲しいという人はやってみるといいかも。
私は小さいことから本を読んだり、文章を書くことが好きだったんですが、それをどう「打ち込むこと」&「収入につなげるか」が課題。
誰にだって才能はある!!
1人1つは才能があるものだと思ってます。
活躍してる人は偶然、才能が見つかった運が良い人。「何者でもない人」でも自分に向いていることって必ずあります。
30歳、40歳でも意外な自分を発見するかもしれないし、ひょっとすると一生見つからないかもしれない。
才能は開いたほうが絶対いいけど、開かず暗中模索のまま一生終えるってのも面白いじゃない!?死ぬまで何者かになりたくてジタバタあがくってのも、それはそれで人間らしいと思う、今日この頃。
アイスキャンディメーカーで作るアイスうま過ぎ
みなさんは、無限にアイスを食べたいと思ったことはありませんか?
ありますよね、ね、ね、ね(しつこい)
でも、アイスって1個あたりは安くても毎日買っちゃうとなんとなく、カロリー的にも財布的にも罪悪感があるっていうか「また、アイス買っちゃったよ」「私の体はもうアイスなしでは生活出来ない……?」って気分になります。
スーパーカップのバニラとかちょーおいしいんだけどね!!
そんな私がアイスキャンディメーカーを買った
はい、買っちゃいました。
きっかけは同居人の「アイス作るやつ買えばいつでもアイス食べられるってことだよね」の甘い言葉です。そりゃ、買いますよ。えぇ、買います。 すぐポチります。
んで、購入して実際気づいたことなんですが「アイスキャンディってこんなに簡単に作れるの」と思いました。普通のアイスクリームだったら、牛乳とか卵黄とか生クリームとか材料から揃えなくちゃいけないんですけど、アイスキャンディだったら売っているジュース凍らせて「はい、終わりっ」です。
あとは、凍るのを6時間くらい待つべし(3時間経過で凍ってたけど、確実性を求めるのなら6時間は待ちたい)
食べたらすごい美味い
ただ、ジュース凍らせただけなのにやたら美味いんですよ。
「ただジュース凍らせただけだよ……?」って食べるたびに私の中の少女が首をかしげるんですが、そういうのは無視して同居人と「美味い」「いつでもアイス食べれるのって最高」とかなんやら言いながら食べてます。
購入するジュースを変えれば無限に違う味のアイスが楽しめるし、牛乳と砂糖を混ぜて凍らせても面白い。ジュース買いに行くの面倒って時は、冷蔵庫にあるかき氷シロップを濃い目に水に溶かして凍らせるという貧乏(節約)レシピも実践しています。
(レシピに関してはクックパッドとか参照すると山ほど出てくる)
コスパ的にもアイスクリームを毎回買うより優れていると思うんですが、ただひとつ難点があります。
それは、味に偏りがある!!
市販のアイスキャンディって味が外も中も均等だと思うんですけど、自分で作るとどうしても外側の味が濃くて、中の味が薄くなってしまいます。
それはそれで乙なものですが、気になる人は気になるかも。
なんかコツとかあるのかもねっ。
それさえ乗り越えられれば、アイスキャンディメーカー最高!