「みんな何のために生きてるの」の答え
増田で「みんな何のために生きてる?」っていうヤツがあって、目についたのでついクリックして内容をじっくり読んでしまった。
「なんのために生きてるのか?」ってことは、誰でも一度は考えることじゃないかなーと思いつつ、投稿者は「みんな」なんのために生きてるかを知りたがってる。これも過去の私と同じで「みんな」が何を励みに毎日の生活を送ってるのか知りたいと思う気持ち、よく分かる。私も過去にその答えを知りたくてネット検索で時間を潰したことがある。
でも出てくる答えは「毎日おいしいものを食べるため」「家族のため」「好きな音楽を聴くため」とかで、これといってピンとくるものではなかった。
なぜそれを知りたいのかっていったら私じゃない「みんな」は毎日なんだかんだでキラキラと毎日楽しく生活してるように見えるからで、その人なりの問題は抱えているのだろうけど、それでも死を考えずに何だかんだ毎日に折り合いをつけているように見える。なんで、みんな「死」を選ばず「生」を選び続けているんだろうと。
んで、私なりに見つけた「何のために生きてるか」の答えなんだけど、「生かされてるから生きている」それしか思い浮かばない。辛さを乗り越えた先に何があるかっていうと何にもないし、死んだらあっという間に忘れられちゃうけど、死ぬような天災や事故・病気にもならず生かされている、ただそれだけだと思う。
私は30代なんだけど、この歳になると病気で死んだとか自殺したって知り合いが少し増えてきた。病気で死んだと聞くと「この若さで……」っていう気持ちになるし、自殺したって聞くと「辛かったんだな」っていう感想よりも、不謹慎だけどそれを実行するに至った決意の固さとか死への行動力に驚く。
んで、彼らとの違いって何かなと考えるとやっぱり現在の状況に「生かされている」って結論に至る。死へ繋がる病気になったわけでもないし、ちょくちょく辛いことはあるけど死ぬほどつらいことも今のところない。
よく私は人間って花のようなものだなーと思うんですが、道端に咲いてる花と一緒で人間に踏まれたり、風で折れちゃったらそこで終わり。終わらなかった花はただ咲き続けるのみだって。結局、意味なんてないに等しいんですよ。
どうしても「生」の実感がほしければ
「みんな何のために生きてるんだろう」って感じる時って、生の実感を渇望している時だとも思うんですよ。だって、小学校の時とかそんなこと思わないでしょ。ものを知らないってことも大きいのかもしれないけど、今思いだしても放課後遊んで帰る時の夕方の空気が好きで、家に帰るといいご飯の匂いがして。ってキラキラしたものしかない。あと未来への期待とか「生」を実感しまくりだった。
大人になるとそれが薄れちゃうんですよね。未来ももうある程度見えちゃってる、子どもの時のような感受性もない。欲しかったものを買っても、おいしいものを食べても楽しいのはその場限りで長く続かないし。
じゃあ、唯一「生きてる」って実感して心から幸せになるにはどうしたらいいのかっていうと「他人に与える」ってことしかないと思うんですよ。ギブ&テイクじゃなくて、ギブ&ギブ。ボランティアとかもそうだし、創作活動で人を楽しませたり、ちゃんとした知っている情報を教えたりでも良いです。
あの、2歳児を救出した尾畠さんっていたじゃないですか。78歳なのに目がキラッキラ。「今どき子どもでもあんなにキラキラした目の子いないよ」ってなキラキラ感。あの人ってたぶん与え続ける人生なんですよね。
困った人がいたら助ける、不具合がある場所なら誰に頼まれてもないけど自ら直す(山登りして腐ったベンチ直してた)
そんな尾畠さんに「生きる目的は?」って聞いたら「人を助けるため」「恩返しのため」って答えるんじゃないかなと思います。「尾畠春夫の人生に悔いなし」ってテレビで言ってたけどカッコよすぎ。そんな人生最高。なかなか出来ることではないけど、人生に迷ったら尾畠さんをマネしてみると案外幸せになれるかもしれない。
「何のために生きてるの」じゃなくて「人生に悔いなし」って生きていきたい。