さくらももこさん、ありがとう
「さくらももこが死んだ」ヤフーのトップニュースが目に飛び込んできて、久しぶりに指がひんやりと震えました。
さくらももこといえば今までエッセイの中でも、健康にものすごく気を使っている描写が見られたし、まさかこんなに早く、53歳で亡くなるなんて思ってもみませんでした。早すぎる。それと、同時に「あぁ、人って死ぬんだ」と当たり前のことを思い出しました。
ちびまる子ちゃんがくれたもの
小学生の頃、ちびまる子ちゃんがスタートし日曜の食卓にはいつも「まるちゃん」がいました。
「書初めにおとし玉という字を書く」という回は死ぬほど笑ったし、いつも仏頂面な父もその時ばかりは大声で笑っていたことが記憶に残っています。学校が憂鬱な時も、まる子がテレビで流れてて、エンディングになると「明日は月曜日か」とため息が出たことも。
アニメだけに飽き足らず、マンガやエッセイも集めました。
さるのこしかけ、もものかんづめ、そういうふうにできている、ももこのはなし、富士山。
▲ナンセンスのかたまり
まる子そのものである、のんきで楽しく過ごすさくらももこが羨ましくあったり、どの作品からも漂ってくるナンセンスさが大好きでした。近年の宝石を題材にしたエッセイあたりからは読む気がしなくなり、離れてしまってましたがそれでも「さくらももこ」「ちびまる子ちゃん」は、あの日の食卓と共にある、あって当たり前、この世のどこかに存在していて当たり前な存在でした。
死去のニュースを見た時、自分の子供時代がまた遠のいたようで悲しかった。
あの日、いつかの
あの日のちびまる子ちゃんは今日まですっかり忘れていたけど、さくらももこさんのニュースでありありと思いだしました。
あの日の私、あの日の食卓。
子ども時代を彩ってくれた、さくらももこさんにありがとう。